英語の塾でコーチング?

コーチングという言葉。もしかしたら今までにも一度は耳にされたことがあるかもしれませんが、何となくこんな感じ?といった漠然としたイメージを持たれている方も多いかもしれません。

コーチングそのものを説明しようとすると膨大な紙面も必要ですので、ここでは、英語学習指導にとどまらず、子どもたちとの関わりにとって「コーチング」がどういうインパクトを与えるのかについて少し説明したいと思います。

因みに、私の場合、英語講師という肩書ですので、子どもたちとの関わりの中で、もちろんコーチング以外にティーチングやトレーニングのアプローチも採っております(つまりティーチャーであり、同時にコーチでもあり、また時にトレーナーでもあるということですね。英語は数国理社と違って座学だけでの勉強に限定されませんので…)。

 

コーチングが大切にするベースの1つに、「相手の可能性を100%信じて接する」というスタンスがあります。もちろん人間社会全般においては、これが上手く行くケースもあれば、必ずしも直接的に目に見えた成果がすぐには出ない場合もあるかもしれません。ただ、少なくともまだ10代の子どもたちに関して言うならば、「この子は結局伸びてこんなもんだろう…」という制限をかけて接することには百害あって一利なしであると考えております。

因みに誤解のないようにお伝えしますが、この「相手の可能性を100%信じて接する」というのは何も「お前はもっとできるはずだ〜!」と相手を限界まで追い込むこととは「ま・っ・た・く」違います。もちろん、時と場合でそうすることがその生徒にとって必要&有効であると判断した場合はそういう言動を取ることもあるかもしれませんが、基本的には、これはコーチのスタンスであり、あるいはコーチの心のあり方であり、何か具体的な行動が必ずしも伴うものとは限らないのです。

ちょっとわかりにくいですかね…(^_^;)

もう少し身近な例で考えてみましょう。子どもたちと最も長く一緒にいる大人といえば普通は親になるかと思います。そこで、この親がもし我が子の可能性を100%信じている場合と仮に50%、いやヘタしたらほとんど信じていない場合とで比べてみた時に、10年後、20年後にその子の中でどんな差が生まれるかと考えてみたらどうでしょうか?

しつこいようですが、「可能性を信じてる」=「もっとやれるはずだ!とお尻を叩くこと」ではありません。極論ですが、もし100%可能性を信じているのであれば「何も言わない」という関わりもあるかもしれないわけですよね?(もちろん、これも極論ですが…。)でもその場合もそれは決して育児放棄をしているわけではないのです。そういう親の子に対する気持ち、あるいは信念というものは仮に隠そうとしても隠せるものではなく、必ず親の言葉の端々、言動の至る所に出てくるものだと考えています。ですので、必ず、かならず子供には伝わるということなのですね。どちらがその子の長い人生において良い影響を与えるかはそれほど思い浮かべるのに難しくはないと思うのですが、いかがでしょうか?

 

100人生徒がいれば、伸び方も100通りありますし、伸びる時期も様々です。ある言葉がけがある生徒にとっては非常に効果的な場合もあれば、また別の子にとっては、それが全くの逆効果になることもよくあることです。こうしたことは頭では理解しやすいのですが、自分で実際に痛い目をしないことにはなかなか腹に落とすことはできません。(はい、わたくしも例に漏れず今までに苦い経験をたくさんしております…(-_-;))

一人一人の個人をざっくりと一般化したりグループ分けをしたりせず、一人一人の可能性を見ることからわかることを親御さんとも極力たくさん共有できるように常に意識しております。