当たり前の話ですが、何事も量をこなすと「慣れ」というものが出てきます。
例えばspeaking。
同じ文法力、単語力の2人がいたとして、ブロークンであろうが文法無視であろうが普段から喋っている人の方が、実際に話してみると「喋り慣れてるな」ということが即座に相手に伝わります。
「喋り慣れている」=「普段から喋っている」という図式が相手に伝わると(ここからは私の完全な独断ですが、こと試験において)他の受験者の大半がそうでない状況においては、採点官のバーが結構下がる(=甘くなる)のではないかとという仮説があります。あくまで仮説ですが…。
これはwritingにおいても同様で、英文を書き慣れているかどうか、あるいはもう少し正確に言うと、英語でショートエッセイを書き慣れているかどうかというのは、文章を見ればすぐにわかります。これは採点官がアルバイト学生であったりしても多分同じだと思います。
そして、このwritingにおける「慣れ」というのは、残念ながら和文英訳などの翻訳作業や例文暗記をどれだけやっても身につかないわけです。すなわち、自分でショートエッセイを数多く書いてみて初めて「慣れる」わけです。まぁ、当たり前といえば当たり前なのですが。
さて、大手予備校が主催する、なんちゃら大学オープン模試や、なんちゃら大学実践模試が返却されたようで生徒が持ってきてくれるわけですが、英作の受験者平均点を見るとかなり低いわけです。これは今に始まったことではないのだと思いますが、相変わらず文法・読解にばかり時間を割いて、英作は「ついで」みたいな感じでやってる受験生が大半なのだろうと、この平均点の低さを見て思うわけです。
別にうちの生徒の英語の全体偏差値が飛び抜けて良いわけではないのですが、それでも英作の偏差値がかなり高いので、答案をチェックしてみると確かに「書き慣れてる」感がするわけです(まぁ毎週書かされているので当たり前と言えば当たり前ですが)。で、その視点で再度答案を見てみると、なんとなくやや採点が甘いような…(^^;)。まぁ受験者全員の答案を見てるわけではないので、その採点が「甘いのか」どうかの本当のところはわかりませんが、なんとなくふと思ったのは、採点が甘いのではなく、大半の受験者の英文がそれほどまでにひどいのかも?ということです。結局採点って相対的なものにならざるをえない部分ってありますからね…。
そう考えると、国公立大学狙ってる受験者は「英作」かなり穴場やと思うんですけどね。ここの道路ガラッガラですよ。
そんなことを考えるイブの日でした。