Speakingと同じでWritingに関してもAccuracy(正確さ=正しい文が書けているか)とFluency(流暢さ=短時間でまとまった文章が書けるか)があるのですが、どちらかと言うと教える側はAccuracyに目が行きがちになってしまうわけです(テストがあるから)。
でも教える側がAccuracyに偏ると、生徒は正しい文章を書かないといけないというプレッシャーがあるから実際に「書いてる」時間は極端に減ると思うのですね(考えたり、調べたりする時間が増えるから)。で、そうなるとなかなかWritingが上達しないという悪循環に入っているような気がするわけです。
長女が現地校にいた時、まだ英語が完全でない移民の子たちや、我が家同様、親が留学で来ている家庭の子女を対象に、国語の授業時間帯は別クラスに移されて、英語の特別授業があったわけですが、とは言うものの、先生の手配の都合からか、たまに国語の授業を一般のクラスで受けさせられることもあったらしいのです。ただ、小6ともなるとその授業内容は長女に理解できるはずもなく、その場合担任の先生は「自分の好きなことについて書きなさい」とか「日本のことについて書きなさい」とかその都度色々とお題を出して、文章を書かせていたそうです。当然、普段学校の授業見学などしていない私がなぜこういったことを知ったかというと、ある日部屋で長女が紙に何か書いていたので、見てみると簡単な英文(しかも文型パターンはだいたいどれも似たようなもの)で自分の好きなことや家族のこと、日本の友達のことをA4用紙に2枚ほどサラサラと書いているのを見て「へぇ〜」と思ったことがきっかけであったわけです。
何が「へぇ〜」かと言うと、その「流暢さ」であったわけです。文法的にもツッコミどころ(a/an/the抜け、何でも過去形はedにしてる、主語なのにMeで始めてるetc...)はあるし、文型も単調なのですが、かと言って意味不明なことを書いているわけではなく、ま、いわゆる自己紹介文としての体はなしているわけです。これを、私が傍で見ているかなりの短時間内でスラスラ書いているのを見て、ふと思ったのが現地にいる非英語系のヨーロッパ人(私の狭い範囲内ではスペイン人)の話しぶりです。
現地の語学学校に通っているというスペイン人の一人は、非常によどみなく英語が話せていました。ただ、よくよく聞いていると上記のような文法ミスはかなり見受けられるのですが、そんなことはお構いなしに話すわけです。そしてもちろん彼らの言ってることが意味不明ということはなく、ちゃんと言いたいことの概要はわかるわけです。何と言っても「会話が成立している」ことはコミュニケーションの基本でしょう。そのスペイン人と終始無言の日本人を比べて、現地でどっちが英語ができるかとなると一目瞭然となるのですが、そのスペイン人からすると、全然英語ができない(と彼らは思っている)日本人が英語圏の大学や大学院で学士や修士を取ることがアンビリバボーであるそうなのですが…。
話が少し脱線しました。
要は、陽気なスペイン人が英会話において流暢さを高めた決定的な理由は、何でもかんでも思ったことを英語で話すからにほかならないわけです。これを彼が話す傍から逐一「今のはaが抜けているよ」「今のgoedではなくwentね」「I don't happyじゃなくI'm not happyね」とかやってたら、多分彼は発狂するでしょう。よく巷で言われる、英会話スクールの先生が、生徒が文法的に間違ったことを言っても訂正しない、という理由はここにあるわけです。
これ、実は私、以前実験的にお願いして、身をもってやったことがあるのですが、最後の方はネイティヴの講師に憎悪の念まで芽生えました…(-_-)。実際の現場では、話し手は言いたいことがあるから発話しているわけで、相手に求めるのは共感であったり、アドバイスであったり、あるいはただ聞いてくれているというその存在感の実感とかそういったものでしょう。それを逐一文法的、語法的に訂正、修正されると「この人、私が今言ったこと聞いてくれてたん?」ってなるわけです。もちろん、講師側は聞いてたからこそ訂正、修正してくれてるんですけどね(笑)。実際の現場では話し手はそんなことを聞き手に求めてるんじゃないんですよね…。大人ですらこの有様ですから、就学児童や未成年の若者に同じことをやると「二度とこいつと話すか(●`ε´●)」となるわけです。
う〜ん・・・また脱線してますね。すみません。
ま、ブログなんでご容赦を。
って、当初書こうと思ってた内容が進んでないので、これまた次回に・・・m(_ _)m