大概の日本人男子にサッカーできますか?と聞いたら恐らく「YES」という答えが返ってくるかと思うのですが、これは学校の体育の授業でサッカーをやってるからですよね。ま、バスケとかでもいいと思うのですが。
一方で、テニスは多分授業中にはやらないと思うので、これはできない人もいると思われるわけです。習っていないので。
ところがなぜかこれが英語話せますか?と聞くと、恐らく結構な数の方が「NO」と答える可能性がいまだ高いわけです。体育の授業でやったサッカーの時間とは比べ物にならないぐらい長時間学校で習ったにも関わらず・・・。
ところで、サッカー部に所属してない限り、オフサイドというルールを知らない、あるいは名前は聞いたことはあるが、どの状態がそのオフサイドに引っかかるのかよく知らない人も多いと思うのです。でもそんな人でもサッカーを楽しむことはできますし、実際普通に楽しんでいます。
またリフティングが10回もできない人であっても、サッカーを楽しむことはできますし、体育の授業を思い起こせば、飛んできたパスに対して何の躊躇もなく、ゴールの方向と全く違う方向に思いっきりけとばす人が結構いたのではないかと思われるわけです。
あれ、もし、何か自分がプレイをするごとに、周囲から「あいつ、ルール知らんの?プププ」とか「あいつの蹴り方ちょっと変じゃない」といったようなことを言われる環境だとどうなるかは明白ですよね。恐らく自信の無い人はボールが飛んできそうな場所には絶対に行かないでしょうし、ボールが飛んできても敢えてそれを避けるかもしれません。
もちろん、そんな事態にならないのは余暇でやるサッカーレベルであれば、「サッカーを楽しむ」あるいは「その場を楽しむ」という共通理解や共通目標が全員で共有できているからでしょう。要は「楽しけりゃええやん!」という共通認識ですね。その場合、サッカーはあくまでもその場を楽しむための一つのツールでしかないわけです。そんな場に、厳密なルールやハイレベルな肉体的技術を持ち込むともうその場はシラケるしかないわけです。
英語もそれと同じで、「日常生活レベルで意思疎通をする」ことが最終目標であれば「細かいミスやエラー」をつつくことに何ら生産性がないことは明らかであるわけです。ところが、こういう欧米発信型目線の指摘がイマヒトツ頭ではわかってはいるものの、腹に落ちてきにくいのは、幸か不幸か日常生活レベルで英語を使わなくてよいという、この日本人を取り巻く環境が大きいわけです。
日常生活で英語を話さなくても良い環境であるにも関わらず、「あえて」そこで英語を話すとどうなるか?
なかなか厄介であるわけです・・・。